キュリー 夫人 の ノート。 小話:偉人たちの実験ノート

キュリー夫人の伝記を読むとほんと自分は努力をしらないんじゃないかという レベルで圧倒されます。 なぜ自分はこの状況にある今に、こうして生きているのかっていうことをすごく知りたいと思っています。

こうしてマリの生涯を改めて振り返ってみると、同じ女性として尊敬できる面がたくさんあると感じます。 簡素な葬儀の後、自宅近くのソー墓地に夫と並んでマリーはひっそりと葬られていました。 数学士号を取得する。

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パリでの苦学と出逢い 1883年にヨーロッパの中等教育を担っていたギムナジウムを優秀な成績で卒業したマリアでしたが、当時女性がさらに進学することはほぼ不可能でした。 ラジウムが発見された当初は「身体にいい」放射能だと考えられていたのですが、しだいに健康に悪影響を与えることもわかってきて、キュリー夫人は研究所員たちに手袋での防護をするよう厳しく指導していたようです。

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帝政ロシアによる知識層への監視により、当時禁止されていた講義を密かに父のブワディスカが行っていたことが発覚して家と職を失ってしまうと、投機の失敗や母の病も重なった一家は困窮してしまいます。

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写真&文章多めなのでPCからまったりお茶を飲みながら音楽聞きながら見ていただけると嬉しいです。 ある物質の放射能が元の半分になるまでの時間を「半減期」という。 実験室とは思えない非常に粗末な環境の中で、毎日肉体労働と言っても過言ではない実験活動を続けて放射能研究のパイオニアとなり、1903年にはノーベル物理学賞を受賞し、女性で初のノーベル賞受賞者となります。

また、マリの娘のイレーヌも同じく化学の道に進み、1935年にノーベル化学賞を受賞しています。 夫に才能を見出されて研究者になりました。

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